2014年から岐阜県美濃加茂市で実施されている「アベマキ学校机プロジェクト」をご存知ですか?
地元の里山で群生している未利用樹種「アベマキ」を使い、学校机の天板を作成。木づかいの思いが引き継がれていくことや木育の面などが評価され、ウッドデザイン賞優秀賞(林野庁長官賞)を受賞しました。
今まで木工用途としては見向きもされず、地元民にとって悩みの種だったアベマキが脚光を浴びるまでには、どんな物語があったのでしょうか。同プロジェクトを立ち上げた和田賢治さんにお聞きします。
和田賢治 プロフィール 高校卒業後、アメリカオレゴン大学へ入学し、その後、イリノイ大学アーバナシャンペーン校へ編入(都市計画専攻)。大学卒業後、帰国し、トヨタ自動車入社するも、大量生産大量消費の世の中に疑問を持ち、父親から譲り受けた勉強机を見て、長く大事にされるものを作れる人になると決意し、退職。木工の世界へ。家具産地である飛騨高山の森林たくみ塾にて修行し、その後、岐阜県立森林文化アカデミーにて5年間教員を務める。2017年、独立し、「地域資源を活用し、人々の暮らしを豊かに」という理念のもと合同会社ツバキラボを設立。木製品の開発・生産業務や地域材活用のコンサルティング業務を請け負う。また「自分でつくる人を増やしたい」という思いで、一般の人が本格的な木工に取り組める会員制シェア工房も運営する。 |
美濃加茂市の里山に群生するアベマキとの出会い
今から8年ほど前、岐阜県立森林文化アカデミーで教員を務めていた私は、「里山の地域資源であまり活用されていない材料を有効利用しよう」というテーマで授業をしていました。
その一環で、美濃加茂市の里山にてフィールドワークを行っていたのですが、そのときに美濃加茂市役所農林課の職員が、アベマキに困っていることを知ったんです。
アベマキはかつて薪炭利用で重宝されていた樹種だったのですが、燃料が薪から石油になるにつれて利用価値を失い、木材としても扱いづらいことから、ほとんど切られずに放置されてきました。
その結果、美濃加茂の里山にはアベマキが群生するエリアができてしまったわけです。里山としての機能を守るためには、定期的に整備をしなければなりません。
ですが、支障木として伐倒はするけど、資源としては使えないから処分するしかない......というのが当時の状況でした。
なんせアベマキは木材としては割れやすい、反りやすい、ねじれやすい、暴れやすいといった感じで......。一言でいえば「じゃじゃ馬」のような木で、木材としては利用価値がないとされていたんですね。美濃加茂市の職員からの依頼は、それを、商品開発までしてほしいというものでした。
とても難易度が高い要求でしたが、当時の私は地域資源の有効活用の授業をしていましたし、“使えない木はない”という想いもありました。そこで、まずはアベマキを木材として使えるようにするための研究を始めたわけです。
アベマキを木材加工可能な資源に~未知への挑戦~
私は森林文化アカデミーで木工をしていましたが、いままでアベマキをあまり意識したことがなかった......というより、アベマキを加工する対象として見てこなかったんですね。
そこで、改めてアベマキがどんな木なのかを調べたところ、やはり木材利用された実績はほとんどありませんでした。木材として利用できるようにするための「乾燥」という工程で、反ったり、割れたりといった現象が起こってしまうためです。
アベマキを木材として利用するのならば、この乾燥の工程をクリアしなければならない。そう考えた私は、岐阜県森林研究所で乾燥を専門にしている先生と一緒に、実験を始めました。
樹種にはそれぞれ、適した乾燥のコンディションやスケジュールというものがあります。初期温度と初期湿度は何°Cくらいで、その値を時間単位、日数単位で調整し、特定の含水率にしなければ木材として利用することはできません。
一般的に木工用途で使われる樹種は乾燥スケジュールが研究されていて、ノウハウもありましたが、アベマキについてはそのような研究がなされていなかったため、何度も繰り返し、研究を重ねました。
そして、数ヶ月かけてようやく乾燥スケジュールを特定。弱点であった暴れやすさを克服し、木工用途として活用できるようになりました。
木育への想いから「アベマキ学校机プロジェクト」を提案
乾燥実験に光明が見え始めたころ、美濃加茂市へ「アベマキ学校机プロジェクト」を提案しました。
最初は日用品や雑貨などにするアイディアもあったのですが、それよりももっと別のもの。地元の子どもたちが地域にある自然に触れられるようなプロジェクトにしたい、という想いがあったんです。
美濃加茂市は身近に自然がある環境なのに、里山にある木は身近に感じていないと言いますか、木製の家具を買おうと思っても、たいていは地元でつくられたものを買おうとは思いません。
当時の子どもたちにとっても、里山はうっそうとした竹や木々が生い茂る近寄りがたい存在でした。そこに生えている木々が、木材として使えるようになったことは知らないわけです。
アベマキを木工用途として使って終わりではなく、子どもたちにも日常的に触れてほしい、その想いが「アベマキ学校机プロジェクト」を誕生させたと記憶しています。
プロジェクトの骨子はこうです。
まず、5年生がアベマキの伐採を見学します。そこから製材・乾燥を学び、6年生になるとアベマキの天板に加工する工程を体験します。
そして卒業後に自身が使ってきた机の天板を取り外し、新しく作ったアベマキの天板を取り付け、それを新1年生に贈る。1年生はその机を6年間使い続けます。
これを毎年行うことで、里山整備と子どもたちの環境教育を両立させるという構想でした。
2015年初頭にこのプロジェクトを提案したところ、ありがたいことに美濃加茂市長、教育長はじめ職員の方々にも好評で、ご協力いただけることになった山之上小学校の校長先生も二つ返事でご承諾いただきました。
そして2015年の夏、初めてアベマキ学校机の試作が完成したのです。
子どもたちの成長も感じられた「アベマキ学校机プロジェクト」
アベマキ学校机プロジェクトでは、毎年、冬になると山之上小学校の5年生がアベマキの伐倒現場を見学しますが、はじめて伐倒するときは、木を切るところをかっこよく見せたかったので、森林組合の若手所員が担当しました。
その甲斐あってか、伐倒の瞬間は子どもたちから大歓声があがりました。切り倒されたアベマキの大きさに驚いていたり、触った切り株のみずみずしさに感動していたりする様子も印象的でしたね。
切り倒されたアベマキは製材と乾燥の工程を経て、学校机の天板に加工していくのですが、伐倒現場を見学した子どもたちが6年生になり、卒業を迎えるころには天板を完成させ、その天板を翌年入学してくる新1年生へと贈ります。
そうして1年生はアベマキ机を6年間使い続けるなかで、地元の里山や森のことを学んでいき、その集大成として6年生のとき、今度は自分たちが天板づくりをする。
アベマキ学校机プロジェクトではこの流れを毎年実施しながら、里山の整備と地域材の循環を担っているわけです。
プロジェクトの初年は印象深いことばかりで、天板を加工した子どもたちが、新1年生へ机を贈るだけでなく、贈呈式をしたいと申し出たんですね。
「この机はどうやってできたのか、そのとき何を感じたのかを自分たちの言葉で伝えたい」と言ってくれて、子どもたちの成長や責任感の芽生えに感動したことを覚えています。
そして、2022年の春に当時の新1年生、アベマキの机を6年間使ってきた最初の子どもたちが卒業しました。
使い続けた天板はブックスタンドに加工されることになったのですが、6年分の汚れをきれいにすることなく、そのままのかたちで残すことに。なかには習字の墨が残っているものもありましたね(笑)。
愛着のある机がブックスタンドへと生まれ変わり、思い出とともに卒業生に贈られる、その瞬間に立ち会えたことはとても感慨深かったです。
受け継がれる里山を守る意思
アベマキ学校机プロジェクトにはもうひとつ、私にとっても想定外なうれしい出来事がありました。
プロジェクト初年、初めてアベマキの伐倒現場を見学し、天板をつくって贈った子どもたち。そのうちのひとりがこの春高校を卒業し、私も在籍していた森林文化アカデミーに入学してくれたのです。知人にその子の志望動機を聞きました。
「自分が6年生のときにアベマキ学校机プロジェクトに関わらせてもらって、初めて地元の里山のことを知り、そこにはいろいろな問題があることも知りました。この里山を守り、次の世代に繋げられるような人になりたいです。」
プロジェクトにご協力いただいた山之上小学校は、1学年40人弱の生徒しかいない小さな学校ですが、そのうちのひとりでも、里山を守り、次世代に繋げられるような人になりたいと思ってくれたがうれしくて......。
美濃加茂市農林課の職員や森林組合の方々とも若い担い手が出てきてくれたことに「やってよかったね」とみんなで喜びました。
アベマキ学校机プロジェクトは今後も続ける予定で、今年からは3つの小学校で行うことになります。
小さいときから地域にある自然に触れつつ、自然資源を使って暮らしに活かすものにつくり変える、教育としても木育としても、とても大事な体験だと思います。学校教育の一環としてやらせてもらっているのは、とてもありがたいことですね。
山之上小学校は美濃加茂市全体で見ると小さな地域で、卒業後は大勢の生徒がいる中学校に通うことになるそうです。今までの環境とは一変することで、肩身が狭くなるとも聞きました。
しかし、自分たちの地域にはアベマキがあって、アベマキ学校机プロジェクトがある、そういった地域に対する誇りを生み出すことが、自分を保てる“人づくり”にも繋がっていくのだと信じています。